瑛子さんの大連ってどんなとこ

 大連に住むリケジョの瑛子さん。経済発展著しい大連の街の様子を冷静な観察眼で描くレポートと写真から無限のビジネスチャンスが見える。

非物質文化遺産の日

6月13日は世界非物質文化遺産の日で、現代博物館のロビーで2時間世界級非物質文化遺産とされている「東北太鼓」や「皮影」などの演出がありました。

子どもを連れて見に行ったのですが、子どもも、普段見たこともない楽器や演出を面白く見ていました。f:id:jidouforum2014:20150619173822j:plain


☆「東北太鼓」
写真で分かるように大きい太鼓ではなく、腰より少し高いところに支えがあり、その上に乗せて演奏される小さい鼓です。テレビやラジオもない時代には、東北地方ではよくこういう太鼓をたたきながら、歌に近い節回しで物語を語ります。元々一人語りでしたが、いろいろ工夫がされ、数人でやったり、少し踊りも入れたりして、愛好者を集めています。テレビも時代遅れになってしまい、インターネットで情報を獲得する今の時代にとっては、少々、スピードが遅くてゆっくりしているかなあ、とも感じられるかもしれませんから、この音楽が生き残ることができる可能性は少ないです。
普段の生活は本当に豊かになりましたが、逆に、余裕がなくなってきているようです。悠然として、ゆったりとした、こういう昔からの芸術にたまに出会うのも、とてもリラックスするものだと感じました。
嬉しいのは、若い世代の人々がこの道に進んでいるということです。都心部では、将来の競争などのことで、もう、頭がいっぱい、という親にとっては、自分の子どもに、こういう伝統芸術を勉強させるということは、本当に考えられないことでしょう。


☆「皮影」
驢馬の皮で作った人物や動物などを、紐で操作しながら、光をあて、幕にその影を映して物を語る、という、この「皮影」は、中国では3000年以上の歴史があります。有名な女皇帝「武則天」の夫は、政治に興味がなくひたすらこの「皮影」に夢中になり、自分の悩みを皮影に託するというシーンも作ったと言われています。
大連では、「瓦房店」という鎮にしか、この皮影の文化が残されておらず、300年の歴史があります。これも影を操作しながら物語を歌いますが、瓦房店の小学生も一部を勉強して、「狼と鶴」の話しを発表してくれました。


☆「二人転」
この「二人転」は文化遺産とはいえませんが、東北地方では昔からお祭りの際によくある演目です。男女二人で、踊りながら歌います。まあ、田舎のオペラ、というところでしょうか。
内容は基本的に男女間の恋愛物語などで、より民間の文かです。高級な舞台には合わず、よく大きな市場などで演じられます。農作業にがんばって、その成果を販売または生活用品に交換しに来た人々に愛好されました。


☆「民俗楽器」
どんな演出でも楽器の演奏は欠かすことができなく、その楽器のみの演出もありました。本当に名前も分からない楽器でしたが、音楽がきれいで中国ムードが濃厚でした。


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民族文化、民族楽器、民族音楽、癒し、スロー文化、都市化


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サクランボのシーズン

大連はサクランボの産地の一つとして、とても有名です。

故郷にいる親は、「こちらでも『大連のサクランボ』と名乗ってサクランボが売られているけど、やはり大連の方が美味しいよ」と電話で「報告」してくれました。

基本的には赤いのと黄色いのとの2種類に分けられますが、実際それぞれが数十品種もあるようです。そして、その中でも、良く食べられているのは3、4種類くらいです。

5月末からサクランボ祭りなどを通じて地元のサクランボをPRする産地も多く、「サクランボ収穫の旅」を各サクランボ農園でやっています。入場券は、一人当たり20元や30元で、食べ放題とは言いますが、洗うことなくそのまま食べるにはやはり不安を感じますし、またサクランボはビタミン豊富といわれ、その分大目に食べると胃が痛くなります。

子どもたちが一番楽しみにしているのですが、友達の子は、「サクランボは箱の中から出てくる」くらい、収穫農家のことについては無知でした。

まあ、車で片道1時間以上も掛かるサクランボ園に行って、食べ放題、よりも、朝市で試食して、口に合うサクランボを2、3種類40元@キロずつ買ってきて、家族みんなで胃が痛くなるまで存分に食べるのが、自分でも一つの幸せなんじゃないのかなあと感じています。


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果物、サクランボ、食べ放題、食の安全

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自立しない子ども、一体、誰がそんなふうに育てたの

6月1日は、国際児童節で、中国の子どもの日ともいえます。

その日の前後には、幼稚園や小学校では運動会や遠足をします。

友達の子どもは市内中心部にある小学校の2年生で、クラスの半分はこの小学校の指定エリアに住んでおらず、親がお金を出して、わざわざ子どもをこの学校に送り込んでいます。

友達の話だと、先日の運動会では、親たちが争って豪華な弁当や、ヨーグルト、おやつ、帽子などなどをクラス全員に配ったそうです。お弁当はびっくりするほど量が多く、質もよく、それもその親が保温車で朝から運んできて、お昼までちゃんと運動場の外で待っていたのです。平日でも、自分の子の誕生日には、クラス全員へ高いクッキーやプレゼントを配る親も、半分以上いるそうです。

子どもに対する気配りは、私も感心していて、サービス業では、そのような気配りの細かさが期待されているとも言えますね。だから、中国ではずいぶん前から「お客さまは神さまです」といわれているスローガン(ずっとスローガンだけに過ぎていないけど)を、「お客さまはわが子のように」と変えれば、経営者も従業員も、たいへん分かりやすくなるかもしれません。

子ども同士は、一緒に遊ばせたら、必ず紛争になりますね。各自、自分の子どもを叱って、「お友達でしょ」と握手をさせるはずの親たちが、親の間の紛争に雪崩れ込んでてしまって、子どもはとっくに仲良くなっても、「その子、とっても、いやな子だよね。一緒に遊んじゃいけません」という結末となり、とても大げさなことになってしまいがちです。

こういう親の元で成長して来た子は、社会人になってもお互いに譲り合うこと、というような上品なことは知らないでしょう。会社で上司に叱られたら、「ああ、いやだ。やめる!」ということになって、そのうち家に引き籠るようになります。

そうなってしまってから、親がその子に対して、
「私がこんな年になっても、お前の生活費のためにがんばらなければならないなんて、おまえはそれでもいいの?」と子どもを叱ったら、子どもからは、
「ずっと甘えさせといて、生活を親の勝手に決めておいて、今になって、もう続けられません、と言われても、そりゃ困るでしょう」という回答に、親としても何も反論できないものがあります。

複雑な高校志望校の選択方法

中国では、学年は9月始まりで、7月が学年末です。6月は受験シーズンです。特に6月7日~9日は大学受験日で、自分が所在する高校では受験できず(試験中の不正行為を防ぐため)、遠い他の高校で受験をしなければならないため、事前に、車のない家庭の受験生を送迎するボランティアが現れたり、親たちや交通警察が試験中に高校の周辺で車の通行を禁止したり(騒音が学生達の邪魔になる恐れのため)するなど、社会も大変神経質になる位大げさに対応します。

なぜかというと、大学受験は全国統一点数で採用されるのではなく、各地域・省ごとに入学者数の割り当てがあり、地域・省ごとに競争します。だから、中国の有名大学である北京大学清華大学に入るには、北京戸籍の学生は490点でも入れるのに対し、山東省や遼寧省では680点以上ではないと入れない、ということになるからです。地域・省間の競争ですから、大連市では、できるだけ自分の学生は1点でも高くなれるように全市をあげて、がんばるのです。

また、高校受験は6月27~28日の6月最後の土日に決められています。これは市全体の中学校が競争します。大連では重点高校が13校もありますが、そのうち、重点校中のトップは、第24高等学校、育明高等学校、第8高等学校の3つで、3校で合計150名が定員。17,000名の学生の競争となります。私の生まれ故郷では1つの選択肢しかないので、それよりはいいですが、逆に、選択肢があるために、選択に迷います。

というのは、合格基準システムがより複雑で、チャンスは1回しかないとも言えます。まずは30%の人数を市全体でリストアップし、希望者の点数に応じて、得点の高い順から採用します。第24高等学校を例にすれば、全体の500名のうち、150名はまず点数の絶対値から選びます。希望者の点数の上から150名が650点であれば、650点は「統一募集」の点数となります。それから残りの70%の350名は各学校の学生数に応じて比率で割り当てます。例えば中学3年生1学級の学生が900名の学校に対しては、19名くらい割り当てます。学校の生徒で、第24高等学校を希望して、統一募集で受けなかった学生の成績の上から19名までを「指標募集」として採用します。

しかし、ある計算方法により最低点数の決まりもあります。よって、教育水準の低い中学校としては、「指標募集」定員以内に入っても最低点数に及ばなかった場合、採用されません。要するに、一部の学校では、この「指標」は残ってしまいます。こういう場合、残った指標を市全体が再度集めて、「指標統一調整」と言って、市全体の指標募集を希望して、自分の学校の指標定員に入れなかった生徒の点数をリストアップし、また点数の上位順で採用します。例えば100名が戻った場合、第100番の学生が619点の場合、619点が最終の「指標統一調整」の採用点数となります。教育水準の高い学校の生徒にとっては、この「指標統一調整」が最終の採用点数となります。

こういう指標を各学校の生徒数に応じて割り当てるのは、学生さんたちが全部教育水準の高い中学校に集中するのではなく、自宅所在地に指定されている学校に入学させるためです。要するに、指定されている学校の教育水準が低くても、その学校内で成績がよければ、割り当てられる指標があるために、いい高校に入ることはできるわけです。

一旦指定された学校に入学せず、他の学校に入った場合、こういう指標募集に参加する資格がなくなり、成績絶対値で決める統一募集に参加するしかなくなります。
指標の採用点数は、統一募集より低いわけですから、やはりこの指標募集の希望が本当の申請希望になります。
今年はこの指標募集の選択肢は1つしかなくなって、それも5月の中旬に急に発表されました。以前、選択肢は1つしかないのですが、指標希望が落ちた場合、「選択学校」の希望がありました。つまり、各重点学校が10%以上の定額を取り寄せて、希望者の点数で採用します。しかし、その場合、3万元を払う必要があります。今年この「選択学校希望」がなくなり、「指標募集」で落ちたら、いきなり重点高校から外れることになったのです。

受験生の親達は、もう、びっくり仰天しました。というのは、パソコンで各自希望を記入しますから、自分が希望する学校には今年希望者が集中するかどうかは分からず、一旦集中してしまった場合、高い点数でも落ちてしまう可能性が十分にあります。こういう場合は、高い点数なのに、13の重点学校が全滅となり、いきなり普通の高校に落ちてしまうことになるのです。普通の高校に進学する、ということは、イコール、大学らしい大学に入学できないことを意味しますから、リスクが高すぎますし、親も学生も心理的に受け入れられない結果になります。

が、例年より募集点数の低い重点高校を選択肢にするには、やはり「うちの子は、成績が他の子たちよりいいのに、そんな学校に行かせてしまうのはとても心痛い」と、内心では認めたくありません。でも、親達がみんな点数の低いほうの高校を希望をすると、むしろ元々入学点数の低い方の重点高校に応募が集中してしまって、点数の高い高校より採用点数が高くなるのではないか、との恐れもでてくるのです。

大連市教育局へ抗議に行った親も結構いて、「指標希望」に対して第2の希望を入れるかもしれない、という噂もありますが、わかりません。

6月10日まで、あと15日間ほどで高校の志望校を決めなければならない今、親達にとっては噂だけではどうすることもできません。相変わらず悩みの深き眠れない夜が続きます。


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“におい”について


 大連の森ビルの近くにあるビジネスホテルのロビーを通りかかったら、四川料理の濃くて辛い調味料のにおいが漂ってきました。近くに四川料理屋があって、たぶん台所の排気が故障なのかなぁと思ったところ、ホテルのスタッフらしいおばさんが
「わあ~、いいにおい。誰がお昼を食べているの?」と自分も食べたいような顔つきでした。

 以前ある戦争記念館を参観したとき、出口の近くにある記念品商店に入ったら、店員さんがそこら辺で昼食を食べていて、強いにおいが商店いっぱいだったことを思い出しました。商店のほかのスタッフもそこにいるお客さんも気がついている気配一つもなく、とても当たり前の様子でした。

 いい意味で考えれば、このようなことは、とても生活の雰囲気が強くて、ルールが少なく、生活しやすい証拠、なのかもしれません。

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「何でも屋」がほしい

友達女性4人と一緒に食事をしていたら、そのうち話題が平日の悩みになだれ込んでしまいました。

「電気給湯器が故障して、メーカーが修理に来てくれたのよ。でも、トイレの天井を破って給湯器を取り出し修理したのはいいけど、天井は破ったままでもう1年以上。。。」
とか、

「タイルが剥がれちゃったけど、どうしよう」
とか、

「雨が降ったら、窓の下の壁がそのたびに雨漏りして、湿気のために壁紙がはがれちゃった」
などなど。

中国では購入後に受け取ったマンションは、コンクリートむき出し状況で、内装は全部自分でやらなければなりません。雇った会社または個人がやったために、その後のメンテナンスはまったく期待できない状況です。

修理にお金を出しても、小さいまたはややこしい修理には、内装工事の方が儲かるから、修理に来てくれないのです。

そして、そのうち、内装してくれた業者の人々とは連絡もつかなくなります。
マンション自体も内装の質も「大体」ですので、3、4年経つと必ずぼつぼつ問題が出てきて、8年以上も経てば、もう耐えられなくなります。

だから、10年間を1循環として、家を買い替える人が多く、少なくとも内装しなおさないと日常生活はつらくなります。

そこで、「各種修理や技能を持つ時間の余裕を持つ人々を集めて、こういう細かい需要に対応できる会社があればいいね」と話したら、みんなが頷いて「そうそう、あなた、そういう会社やってよ」といわれてしまいました。。。

法律には頼らない

 先日、友達が、買ったばかりの新車を、路地の駐車場でぶつけられました。相手は修理工場のスタッフで、免許なし&飲酒運転&一方通行逆行でした。一方通行の標識通りに走ってきたバスを避けるために、駐車場の車を三台連続で衝突したのです。あわてて逃げようとしたところを、駐車場の警備員に捕まえられました。保険は、もちろん、賠償をもらえる可能性はゼロでしたが、ご本人は田舎からの出稼ぎさんで、修理工場へ修理に出したお客さんの車を勝手に運転して外出したことで、賠償する能力はまったくありませんでした。

 そこで駐車場の警備員が「警察に通報しても、掴まえられるだけでお金がでませんから、車のオーナーに来てもらって解決してもらうしかないよね。車のオーナーがどうしても解決してくれなかったら、警察に通報しましょう」とアドバイスしました。

 本来ならば、駐車していた車のオーナー達は、まず、駐車場所有者(管理者)に賠償してもらい、駐車場側は別途、加害者に賠償してもらうのではないかと、私はそれに関する法律はよく分かりませんが、理屈ではそう思います。しかし、そこはレストランの無料駐車場なので、こういう損失は、一切責任なし、と駐車場側は主張するでしょう。また、車をぶつけられたオーナー達が、駐車場側を裁判所に提訴したら、実際には、長々と続く裁判になり、結果として、被害者側が勝ったとしても、最終的に加害者がお金を出さない場合、今度は強制執行させなければならず、そのためにはまたまた手続きが煩雑になります。

 さらに、加害者本人が逃げたとか、資産がないから実際執行不可能とかで、結局、最後の最後には、被害者はお金がもらえない、という結果になる可能性が高くなるのです。かなり大きな金額ではない場合、いきなり裁判に持ち込むのは絶対に、いい選択肢ではありません。

 この友人のケースは、幸いにも、加害者を雇用していた車の修理工場側が、被害者である車のオーナーたちに「許可なしに、自分の免許を持っていない、酔っぱらったスタッフに、修理中のお客さんの車を勝手に使われた」ことを外部に知られたくなく、3台とも無料で修理して終わりにしました。

 他の友達も、親が横断歩道で車にぶつけられ、本当はその運転手が各種治療費を立て替えるはずだったのですが、「お金がない」と「車は自分の車ではない」の繰り返しで、結局、自分でまず治療費を立て替えて、幸い保険が出るから最後は保険からもらいました。もちろん看病などは一切なしで、その後回復するためのリハビリ費用は全部友達の自己負担でした。考えるだけでも腹が立ちますが、法律や規定では解決できません。やはり当事者の道徳水準次第と、どこまでお互い譲り合うか、などによって結果が違います。

 だから、ビジネスの場合も問題になった後、「○○と承諾してくれた」とか、「○○と思いました」とか、「○○のように契約書に明記された」とかより、お金を出す前に、被害にあった場合、実際にはどういうことになるか、解決方法(相手側に事前に約束したことをやらせる方法)があるか、相手側の賠償能力や会社・個人の信用度などをよくよく考え、対処準備した方がいいのです。



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